Wednesday, May 9, 2012

日本の矛盾


金曜日は「夕凪の街 」と「桜の国」という漫画を読んだ。平野皆実がお風呂に行く時、背中に傷がある被爆者の女性たちが平気にお風呂で話をしている姿を見ると、皆実は「不自然だ」と言った。私はこの台詞がこの漫画のテーマを表してしいると思う。
戦争で日本が受けた被害はある意味でユニークで、世界の他の国々とすべて違う。唯一の被爆国として、日本の被爆者たちが経験した苦痛は他国の人々には理解してもらうのは難しいだろう。戦争でたくさんの人が犠牲になったが、被爆者たちのようにいつか病気や死が襲ってくることにいつまでも心配しなければならなかった人はいないかもしれない。 その上、自分が病気や死にかけたりするだけでなく、さらに自分の子供たちが被爆者の子供として差別されることに耐えなければならない。彼らの人生は爆弾が落とされた時点から変わってしまった。たとえ無事に一生を過ごしても、毎日恐怖に怯えただろう。
う考えれば、なぜ日本が歴史認識の問題についていつも隣国の韓国と中国の間で摩擦があるかということも理解できるようになる。ただ死者と負傷者の 数字を見たら、日本が最大の被害国とはいえないけど、原爆の永続的かつ有害な影響を考えたら、なぜ日本人の被害意識が特に強いか、そして、加害意識が弱い かなどの原因も分かるだろう。被害者意識に圧倒される場合は、自国も他国に多大な害を与えたという認識を持つのは難しいだろう。
2010 年の広島の原爆式典で、菅直人は「核抑止論」(核兵器の保有が国家間の戦争を抑止するという仮説)を取り上げ、広島市長から遺憾の意を表明されるととも に、被爆者から強く批判された。私も「核抑止論」に賛成するけど、被爆者の気持ちを考えてみると、なぜこのように敏感にこの話題を避けたいかをよく分かる。そし て、日本は唯一の被爆国である同時に、核大国のアメリカの傘の下にあるのは私にとってはとても矛盾した現実だと思う。

Tuesday, May 8, 2012

日本の自衛隊は本当に「自衛」だけだか?


      二週間前は星野一の「ああ祖国よ」という短編小説を読んだ。アフリカの小国 パギジア共和国が日本に宣戦布告し、米軍払い下げのボロ船、それもたった2隻の漁船程度のものに乗って日本を攻めてくるという話だ。最後に、パギジアの軍艦 が日本に上陸した後、開戦せずに終戦した。そして、パギジアの代表者たちは補償金をもらい、最高の待遇を受けた後満足して帰国した。しかし、ある小国がまた宣 戦布告して来た。
    この小説が書かれたのは1985年で、ちょうど日本のバブル経済の(バブル期)の始まりだった。インフレが蔓延している経済において、人々の物欲はます ます増えた。そして、国家や団体の利益よりも個人の享楽を一番大切にしている時代だった。この社会的な文脈で、作者は「ああ祖国よ」のような皮肉な作品を 書く必要を感じたのではないだろう。
「ああ祖国よ」の中の日本は経済的な強国だが、政治的な弱者である。アフリカの小国からどんでもない宣戦布告されても、一生懸命相手をなだめるしかなかった。なぜかというと、日本の自衛隊は先に敵国を攻撃することは憲法によって禁止されている。しかし、名目上はそうだが、実際、自衛隊はポスト冷戦期の1990 年代から、国連平和維持活動などのため、海外派遣が行われたこたがある。これ以降、国連平和活動を維持する名目で、九二年にカンボジア、九三年にモザンビー ク、九四年にザイール、九六年に中東ゴラン高原、九九年に東チモールに自衛隊が派遣された。だから、この小説が書かれた時から近年まで、自衛隊の活動の 範囲はずっと大きくなって来ているのだ。これを見ると、最近中国で広がっている「日本軍国主義復活論」も理解できるだろう。
    では、小説で書かれたように、日本が緊急状態になっても、アメリカから助けてもらえない可能性があるか?私はあると思う。なぜかというと、日本の緊 急状態がアメリカにとっても同じように「緊急」だとは言えないからだ。近年、アメリカと中国は、ますます経済的に依存しあっており、アメリカは中国への配 慮で日本を完全にサポートしない可能性もある。

戦後の人たちの生活

  先週は「中国人に助けられたおばあちゃん」という話を読んだ。ある満州開拓団のおばあちゃんが中国人の助けで集団自殺から生き残り、中国で新しい家族を作り、 そして子供三人と帰国した話だ。このおばあちゃんは恩返しのため、そして離別した自分の二人の中国人の子供と再会するため、日中友好運動に積極的に参加した。こ の話を読んだ後一番感心したところは帰国してからの母子四人の生活の部分だ。中国人と再婚したせいで、差別され、そして、子供もすでに日本語を忘れてしま い、普通の人と同じように暮らすことが出来なかった。女性はそもそも弱者だし、三人の若い子供を世話しなくてはならなかったし、彼女たちの生活は非常に辛 かっただろう。戦中はきっと終戦を望んだが、本当に終戦の日が来たら、まだ苦しみが終わらないのは一番絶望的だと思う。でも、考えたら、こんな戦争の余波 に苦しんでいるのは彼女たちみたいな特別な背景を持っている人たちに限られているわけではないと思う。
  去年、友達と一緒に「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画を見た。東京タワーの建設を時間軸に沿って、戦後10年の東京の下町の人々の生活を描く作品だった。


  映画の大部分は、人々がどのように戦後の希望に満ちた生活を送っていたかという話だが、時々襲ってくる戦時中の記憶に悩まされ続ける人たちの気持ちについての 描写もとても現実的で、素晴らしかったと思う。例えば、映画の中で、宅間史郎先生という小児科医は優れた医療技術と子供に対する優しさで、近所の人たちに尊重され ているが、自分の妻と娘を空襲で失って、その後はずっと一人暮らしをしていた。彼はある日、酔った後、道端で寝てしまい、家族団欒の夢を見てしまう。彼が その夢を見たときに、アライグマが現れて、彼が死んだ娘のために買った団子を食べてしまった。しかし、その日から、彼はアライグマのおかげで、家族団欒の 夢を見られたということを強く信じるようになった。再び同じような夢を見るために、頻繁に団子を持ちながら、アライグマを探しに行った。この場面はこの映 画のクライマックスだと思う。子供の病気を治すために一生懸命働いている医者は自分の子供の命を救えなかった。そして、唯物論 (ゆいぶつろんしゃ)の医者である彼がアライグマのような迷信のシンボルを信じるようになったのはとても不思議に見えるが、背後に悲しい物語があった。実 際、彼は例外ではなくて、戦後の一般人の代表だと思う。映画の中では、彼のように表面的に穏やかな生活をしながら、無力感によく襲われた人がたくさんいる はずだと思う。だから、今度読んだ中国人に助けられたおばあちゃんの生活はとても苦しかったが、彼女のような人間はどんな戦争を経た社会でもいると思 う。

Sunday, April 22, 2012

「大地の子」最終回


       今週はついに大地の子を見終えた。原著にも興味を持っているので、アマゾンに載っている読者が書いた書評を読んだ。書評を見ると、「残留日本人孤児」という グループの存在を知っているが、「大地の子」を読む前に、彼らがどんな人生を送ってきたかを知らなかった読者が多いそうだ。なぜかというと、肉親探しが始まったのは80年代で、日本人孤児の中の多数はもう三十代や四十代になっていたからだ。すでに自分の家庭が出来た人たちのことを「孤児」と考えるのはなかなか 難しいだろう。そして、彼らが経験した苦痛を知りたい気持ちもない。作者はこういう背景で、「大地の子」を書いて、祖国の人たちに忘れられた孤児たちの 人生を再現した。中国残留日本人孤児の数は三千人に過ぎないが、彼らのように過去の日本政府の無責任な政策で、人生を翻弄された人々(北朝鮮帰国事業拉致問題南米移民など)はもっと多いそうだ。作家は「大地の子」を通して、一般の恵まれた生活をしている日本人の関心を引いたと思う。
して、一心のような日本人孤児の苦痛の原因を考えると、主に二つある。一つ目は上記の日本政府のいい加減な政策だ。もし戦争がなければ、そして、満州に 「開拓団」を送らなければ、孤児たちの悲劇も起こらなかっただろう。そして、中国側ももちろん無実ではない。文革で被害を受けたのは日本人孤児のような少数 グループに限られない。月梅の父はどんな時代でも一番尊敬されている医者だったのに、自殺を余儀なくされた。だから、文革を描く場面はこの小説のも一つ の大きな貢献だと思う。90年代の日本人は中国への認識は多分戦争中と戦争前のことに限られているが、この小説を読んだら、戦後の中国国情についての理解も深くなるだろう。
後は、この小説は日中友好を謳う内容が多いが、この二つの国の違いを表すところも多い。例えば、ボルトで紛争した場面、そして、初出鉄の前の晩の緊急状況 に対する態度の違い(日本側の「無謀な行動はしない」というやり方と中国側の「待つよりも何かをしよう」というやり方)など。類似点も相違点も同時に公平な観点から描写するこの作品の一番すばらしい点だと思う。




皇室のスケープゴート


初めて松井石根という名前を知ったのは中国系アメリカ人作家アイリスチャンが著した「レイプオブ南京」という本を読んだときだった。初版では彼が南京事件の張本人だと書いたが、その後の版でアイリスチャンは意見を改訂し、松井は大虐殺の間に病気だったので、本当の担当者は朝香宮だったというビューを確立した。
松井石根についてもっと調べてみたが、彼は日本に帰国した後、日中戦争における双方の死者を記念するため、本郷の静岡県熱海市に南京の方向に向かって観音を立ち、毎朝観音経をあげていた。しかし、彼は結局極東国際軍事裁判において起訴され、東条英機などのA級戦犯と一緒に処刑された。
私は彼が他の戦争での役割をよく知らないが、ただ知っているのは南京事件の責任者の裁判した時は、彼が朝香宮のスケープゴートになったそうだ。もちろん彼は完全に無実だと言えないが、彼よりもっと直接責任を持っていた朝香宮はそのまま非難されずに「逃げた」ということが非常に不公平だと思う。日本の人たちはもしこの歴史を知っているかどうかを聞きたくなった。そして、日本の歴史教科書で皇室メンバーが戦争の罪を犯したということが書いてあるかどうかも知りたくなった。そして、朝香宮の戦争責任と言えば、もう一つのことを思い出した。2009年ドイツ、フランスと中国が合作した「ジョンラーベ」という映画は南京事件に基づいた作品だが、中は朝香宮が登場したシーンがいくつもあった。期待通りに、「ジョンラーベ」は日本で公開されなかった。しかし、この映画の監督によると、公開を持ちかけてきた日本の配給会社があったが、朝香宮が登場するシーンをすべて削除するという条件を提案したため、監督に拒否された。私はこの条件はなかなか面白いと思う。なぜただ朝香宮のシーンを削除して欲しかったが?もしかして、この配給会社は皇室のあどけないイメージを維持したがっていたからだか?人間宣言の60年後の今はまだ皇室に汚点をつけてはいけないと考える人が存在することは私にとっては不思議だと思う。
      松井石根によって建立された興亜観音。観音像は松井石根が転戦した南京周辺地等の戦場の土を                       材料として作られた

Monday, April 16, 2012

文革と信仰の喪失


 「大地の子」のエピソード9の中で、一心はお母さんと妹の位牌に線香を供えるため、松本家に訪ねていった。父子二人は仏壇の前で、昔の話をしながら、色々なことを思い出した。日本では仏壇、あるいは神棚を祀る家は今でも多いそうだが、中国ではもう殆どこういう習慣がなくなってしまった。なぜかというと、位牌や仏像を封建社会の遺物、つまり、迷信だと思う人が多いからだ。この考え方を生んだ原因はまた文化大革命だ。文化大革命は文化と伝統を破壊しただけではなくて、宗教も徹底否定した。文革で、多くの教会や寺院などの宗教的な文化財が破壊された。特に、チベットでは仏像が溶かされたり僧侶が殺害されたりした。私はチベットにあるタシルンポ寺に行ったことがあるが、そこは歴代のパンチェンラマの遺体を納める霊塔(れいとう)が奉ってある。何人かを奉った物も一人だけを奉った物もある。なぜ一つの霊塔には何人のパンチェンラマの遺体を納めてあるかというと、文革で紅衛兵は5代から9代までのパンチェンラマの霊塔を破壊し、その中の遺体も取り出し、近くの川に流してしまったからだ。パンチェンラマはチベット仏教においてダライラマに次ぐ高位の精神的指導者だが、パンチェンラマの遺体を破壊されるのはチベット仏教の教徒にとっては最大の恥で、耐え難い行動だ。したがって、チベットは50年代以来中国政府からたくさんの経済支援をもらったのに、まだ共産党に憎しみを抱き続けている。今中国の憲法には「公民は宗教信仰の自由を持つ」と規定されているが、歴史の繰り返しを恐れるため、まだ自分の宗教を隠す人が多い。うちもキリスト教の家庭だが、戸籍簿では「信仰なし」と書いている。また、文革のせいで、信仰心を完全に失った中国人も多い。日本人や韓国人と違って、中国人は死後の世界を信じる人が少数だ。したがって、ただ現在の享楽を大切にして、悪行をしてもその結果を考えない人が多い。評論家の石平が言ったように、文革のせいで、中国は「世界で屈指の拝金主義が跋扈するようになった」。
          (紅衛兵は北京天主堂の書籍を焼却していた

中国高度経済成長と伴う問題

 今週見た大地の子の中で、日中両方は日本から輸入した鉄鋲とアンカーボルトの寸法誤差と品質上の問題で衝突をした。その原因は、日本側のやり方は抜き取り検査だったが、中国側はすべてを検査するのが慣例だったからだ。つまり、中国側は厳しい時間制約下でも高い水準を維持しているはずだということだ。私はこのシーンを見て、去年七月の中国の高速鉄道追突事故を思い出した。これは先行していた列車が落雷によって停電し、動力を失ったため手停車し、そこに後続の列車が追突した事故だった。この事故によって、40人が死亡し、192人が負傷し、重大交通事故だと言われている。


 この事故が起こった四日後、事故にあった列車はそのまま現場で埋められた。埋め立て作業開始前に、救助隊員の一人が反対し、一人で車内を探し、20時間後2歳の女の子を見つけて、救出した。もし早く埋め立ていたら、この子は、電車の残骸とともに埋められてしまっていただろう。国民の怒りを引き起こしたのは、鉄道省のスポークスマンはこんな軽率な埋め立て行動について問われた時、ただ「彼女の生存は奇跡だ」と一言で済ませたことだ。
 この事件を見ると、中国の高度経済成長に伴ってたくさんの問題も生まれているということが分かる。皮肉なことに、文革中の中国はとても貧乏だったのに、高い生産水準を維持してきたが、今の中国は世界第二の経済大国になったが、国民の生活水準はだんだん低くなりつつある。今度の鉄道事件はさておき、2007年の汚染粉ミルク事件や最近のリサイクル食用油(しょくようあぶら)事件を見ると、国民生活の安全性を疑わざるをえない。生活の安全性と引き換えにした経済成長は本当に国民に望まれているのか?経済成長は生活水準の保障に基づかないと、意味がないと思う。単なる数の増加に過ぎない。

Sunday, April 15, 2012

文革と儒教思想の希薄化

    今週見た「大地の子」の中で、一心が労働改造所で日本語を勉強していたことが発覚されたせいで、批判会で非難された。一心を助けようとした黄書海は一心が日本語を習っていたのではなくて、張旭(ちょうきょく)の草書体(そうしょたい)を模写していたと主張した。張旭は唐の書家であったが、書体は分かりにくいため、封建思想の代表として批判された。一方、明治以後の日本では、楷書(かいしょ)を『正式な書体』に位置づけ、行書(ぎょうしょ)を『日常的に用いる筆記体』と見なして教育を進めながら、草書は『非日常的向けの書体』として愛好されている。では、なぜ中国は自分の伝統文化を捨てるのか。答えは文化大革命である。

(文革中の批林批孔運動のポスター)
 1973年から1976まで、中国では「批林批孔運動(ひりんひこううんどう)」が全国規模で展開された。
 名前が示すように、「批林」は毛沢東の後継者であった林彪(りん・びょう)の批判であり、「批孔」は孔子及び儒教の否定であった。この運動の影響は今の中国社会でも残っている。日本に帰化した元中国人の評論家である石平によると、「この(批林批孔運動)結果、中国では論語の心や儒教の精神は無残に破壊された」。石平は「愛日主義者」で、問題発言もよくしているが、私は彼の文革の影響についての意見に賛成する。文革による儒教思想の希薄化のせいで、昔の美徳は喪失されてしまった。例えば、「親孝行(おやこうこう)」、つまり、よく孝を守る振る舞いは儒教の考えによる重要な徳目で、現代の韓国と日本でまだよく行われている。しかし、最近中国では、老人への介護をネグレクトしたり、まだ虐待したりするなどの社会現象が次々と現れている。特に、老人がまだ生きている時はちゃんとお世話しないのに、老人がなくなった後、すぐ遺産相続で争う家族が多いそうだ。そして、一人っ子政策もあるので、老人よりも子供を一番大切にする家族も少なくない。その上、急速な都市化が進んでいるため、地元の田舎から離れて、北京や上海などの大きい都市に引っ越す若者は毎年一千万人ぐらいの程度で増えている。この結果、「留守老人」と呼ばれる田舎に残された老人たちの生活は厳しい社会問題になりつつある。30年前の文化大革命が今でも深刻な問題を起こしているのはとても怖いと思う。

Saturday, March 31, 2012

戦後世代に戦争責任があるのか



        先週金曜日の従業で「戦後世代に戦争責任があるのか」という質問について話し合った。読み物の中で、高市発言をはじめとして、いろいろな政治学者の論点が出てきたが、私はその中で一番賛成するのは西部氏の意見だ。西部氏によると、個人の行為や習慣は属する共同体によって拘束される。特に、政治的な決定を下す時はたいてい個人のレベルではなくて、国家のレベルで決断した。なので、個人に責任を求めるのはなかなか困難だ。その上、戦後世代は父祖の世代の行為をコントロールすることができないので、彼たちに責任を求めるのは無理な話だと思う。戦争のような組織暴力を行う時、多くの場合は個人の決断よりも環境的な力が圧倒的に強い。日本は昔から集団主義の社会なので、大勢順応の社会だと言える。大勢順応性を実証した心理実験が多いが、その中で一番有名なアッシュ実験では参加者は二枚の紙をもらった。その中の一枚には一本の線が書いてあり、後一枚には長さが異なる三本の線がかいてあった。参加者は一本の線がかいている紙をみながら、三本の線の中から長さが同じ一本を選んだ。一回目の実験はconfederates(この実験の目的を知っている人たち)がいなかった。参加者はそれぞれの判断で正しいと思う答えを選んだ。正解率は98パーセントで、殆ど全員正しかった。しかし、二回目の実験には、参加者以外に故意に間違った答えを上げたconfederatesもいた。その結果、参加者の中の三分の一が confederatesと同じ間違った答えを上げた。この実験の結果は、個人が集団から強要されると間違った発言であっても、それを正しいとみなすようになるということを表している。これはまだ実験の設定で行われた結果だが、これより何倍も厳しい戦争の中ではもっと盲目的に他人に従うのではないだろう。したがって、たとえ戦争に参加した人たちもいつも自身の意志で暴力を振るったわけではない。戦争が終わってほぼ70年になった今は、責任を追及するよりもっと大切なのはなぜ父祖の世代が戦争を引き起こしたのか、そして、なぜ非人道な行為が起こったのかなどについて反省することだ。

アッシュ実験で使われた二つのカード
             

Saturday, March 24, 2012

「大地の子」と文化言語学


先週は「大地の子」のエピソード2を見ました。内容的にはエピソード1より軽いですが、また色々考えさせられました。その中、一番大きなテーマは言語と身分の関係でした。このテーマは陸一心と黃書海という二つの人物を通してよく伝達されたと思います。黃書海は中国系日本人で、日本で生まれて、育ったが、自分が中国人だということを忘れないように、ずっと中国語を練習してきました。一方で、陸一心は残留日本人孤児で、中国人の両親に育てられて、日本語もうまったく覚えていません。黃書海は陸一心に日本語を教える前にこう言いました、「祖国の言葉を知らないのは、人間として大変な恥だ」。彼が言った通りに、言葉と身分は切っても切れない関係を持っています。牧野先生の文化言語学のクラスで言語相対性仮説(サピア=ウォーフの仮説)ということを学びました。この仮説によると、「言語は既成の事実を捉えるための手段というよりも、未知なる真実を見つけ出すための手段です。その多様性は、音声や記号ではなく世界観の多様性なのだ」。つまり、人間の考え方や価値観は言語に強く影響されます。この仮説は外国語を勉強している皆さんにきっと馴染めのないことではないと思います。私自身気がついたのは、東アジア言語学習者の中では、言葉を切り替えると、人格も急にスイッチする人が多いです。特に、アジア言語で話す時はとても丁寧で、控えめな性格に見えるが、英語に変えると、すぐ自信を持つようになって、性格の中の攻撃的な部分がでる人が多いです。後一つの面白いことは、私の下の名前は発音が難しいため、アメリカに来てから、正しく名前を呼んでくれる人がなかなか少ないです。時には、正しく呼んでくれる人がいたら、とてもありがたくて、自然に親しみが涌きます。このような距離感の変化も言語の支配力を表しているではないだろうかと思います。

Sunday, March 11, 2012


            「オバマ大統領は原爆投下について謝罪すべきか?」また、「隣国を侵略した日本は謝罪すべきか?」というような質問に答える前、まず「当時の被害者とそ の人たちの子孫は一体何を求めているか?」ということを考えなくてはいけないと思う。今を生きる私たちはなかなか被害者の立場に立って考えるのは難しい。ただできる のは、被害者たちの声を聞くようにすることだ。去年上田敦子先生の東アジアの人文科学の授業で、大江健三郎の「ヒロシマノー ト」を読んだ。原爆被爆者の日記や自伝を取り上げている作品だ。あまりにも悲しすぎて、最初の何十ページしか読まなかったのに、驚くことばかりだった。この本を読む前、私は被爆者たちがきっと悲しみに包まれて、自らの苦境の理解を求めていると思ったが、現実はそれとかなり違うそう だ。被爆者たちの多くは死にかけたのに、自分たちが長く生きられないという事実を冷静に受け入れ、恨みなどのことも全然考えずに、単純に静かに残り の時間を過ごしたがっていたそうだ。同情されたくなかったし、謝罪や補償も求めたくなかったそうだ。こんな人たちに、謝りの言葉や補償よりももっとすべきことは、もう二度傷つけないという約束、そして、プライベートな空間を作ってあげることだと思う。そう考えたら、たとえオバマ大統領が広島と長崎の住民に謝 罪しても、本当に喜ぶのは多分政治家たちと少数の住民にすぎないと思う。そして、オバマ大統領は原爆投下という決定を下した人たちを代表していないし、今の広島に住んでいる人たちは被害者たちを代表していないし、事件に関係のない人間が、事件に関係のない人間に対して謝罪することはどれぐらいの意味がある か、そして、誠意を伝えられるかどうかは難しい問題だと思う。しかし、私たちはまだ出来ることがある。これは子孫たちに公平な歴史を伝え、歴史の繰り返しを防ぐことだ。

「大地の子」を見始めた

        
        今週は「大地の子」というドラマを見始めた。一エピソードしか見ていないが、多くの感想を持った。まず、戦争中でも消えない人間のすばらしさを色々見せてくれていると思う。特に、陸徳志という人物が日本人孤児 ある勝男を自分の子供として育てた行為はとても立派で、国境を超えた人道主義的な愛を表したと思う。もちろん、クラスで話し合った通りに、陸徳志は もし自分の子供を持っていたら、あるいは、先生のような教育高等を受けた人間じゃなくて、あの時代の一般人だったら、まだ勝男に親切にしてあげられるかどうか も疑問になってしまう。敵の子を養子にするのはそもそも難しくて、たくさんの勇気がいると思う。だから、このドラマを見ると、陸徳志という人物のプロトタ イプが現実的に存在したかどうかを知りたくなった。もし本当にいたら、彼の養子になった人はきっと幸せだったと思う。しかし、インターネットで残留日本人孤児につい て調べてみたら、孤児たちの中で八割以上も日本に帰国したそうだ。このような高い帰国率の原因を考えたら、日本と中国の生活水準の差と文化大革命によって起 こった社会不安を挙げられるが、ほかにも、何か理由がきっとあると思う。やはり勝男みたいにいい養父母に育てられて、恵まれた人生を送った孤の方が少数だ ろう。もっとつらいと思うのは、彼たちは日本に帰国した後も、日本語を既に忘れてしまったため、あるいは、文化に慣れなかったため、自らが日本人なのか 中国人なのか分からなくなって、差別も受けたということだ。最近、残留孤児の2、3世はマフィア化していて、社会問題になった事件もあるそうだ。まるで両親たちが経験した悲劇から逃げられないようだ。これは一番悲しいと思う。

Sunday, March 4, 2012

在日米軍の抑止力の必要性





今度は在日米軍の抑止力について勉強した。私は元内閣官房副長官補の柳澤協二の考え方に賛成する。抑止力は元々冷戦時代の産物である。今の米日中三国の関係は冷戦時代の米ソとは二つの大きい違いがある。まず、現在、アメリカでも、中国でも、軍事的な利益よりも経済的な利益が優勢されている。誰も軍事攻撃を開始しようとする動機持っていない。そして、今の国々の軍事力は数十年前のレベルと同一視すべきではない。アメリカと中国はどちら核大国で、一方が核兵器を使えば最終的に双方が必ず破滅する。たとえば、射程距 離が10,000キロメートル級のICBM(大陸間弾道ミサイル)では、発射から着弾までの時間は30分だけとされている。つまり、一方が相手に核兵器を使用した際に(たとへば、中国が領土紛争で日本に武力をおこなう場合)、もう一方はすぐそれを察知して、即時の報復を行うことが出来る。言い換えれば、このような戦争をしても勝者がいない。両方も大きい損失を被る。したがって、在日米軍が撤退しても、中国はなかなか日本に戦争を開始しないと思う。そして、岡本行夫のように在日米軍がこれからも日本に駐留するべきだと考えている人たちは多分中国のことを仮想敵国だと思っている。でも、私は21世代の日本と米国の仮想敵は中国ではなくて、テロだと思う。中国の政治指導者が合理的である限り、日本やアメリカに対する絶対戦争を開始しないと思う。しかし、米軍の抑止力がまったく必要がないというわけでもない。というのは、米軍は撤退すると、中国は領土問題で日本にもっと強硬な姿勢を見せるのではないだろう。
      ヴァンデンバーグ空軍基地からテスト発射されたミニットマンIII型ICBM

Saturday, March 3, 2012

戦後のアジア各国





今度は戦後の韓国、朝鮮と中国について勉強しました。私は中国で育ったので、大躍進や文化大革命は身近な話題ですが、朝鮮戦争はなかなかクラスで勉強する機会がありませんでした。初めてこの歴史を学んだのは学校でではなく、「ブラザーフッド (直訳「太極旗翻して」)という朝鮮戦争に基づく映画を見た時でした。中国では、朝鮮戦争の中の中国人民解放軍の役割を美化するために、この戦争を「抗米 援朝戦争」と呼んでいます。つまり、中国の援軍を朝鮮に送り込まなかったら、米軍は必ず朝鮮を踏み台として、中国に脅威を与えた理解しています。しか し、この戦争は元々朝鮮によって引き起こされたということはなかなか中国の歴史教科書に入れられなかったです。これは日本の歴史教科書問題と顕著な類似点があると思います。どんな国でも、隠したい恥ずべき歴史がありますが、歴史を直視する勇気を持つのは本当の「強国」だと思います。戦後処理という点では、ド イツは模範だと思います


Sunday, February 26, 2012

米中関係


先週の金曜日の授業で米中関係について勉強した。コラムを読んで学んだ大切な二つのことは1)最近中国の台頭は経済だけにとどまらない、軍事力増強も急速に進んでいる。2)アメリカは膨張する中国に対して、ジレンマに陥っている。なぜなら、アメリカは経済的な理由で、中国へ軍事転用可能な民生技術を輸出しようとしている。一方で、高度な技術が流出することは必ず国の安全に影響を与える。
私はアメリカの立場で立って考えてみると、やはり経済的利益と引き換えに高度技術を輸出するのは不得策だと思う。確かに、アメリカは自分が今まで「先駆けて最先端技術を開発してきた」という自負を持つ理由があるが、たとえ中国に技術を渡してもアメリカの国益に何のダメージもないという考え方は非常に危ないと思う。なぜかというと、中国は自らの手で、高度な技術を開発するのは難しいが、他人の技術をコピーするのは速いからだ。そして、米国の情報機関は中国の軍事力への理解も不足している。例えば、2009年に、元米国防長官のゲーツは中国のステルス機の開発状況について、「中国がステルス戦闘機を運用するのは2020年か25年になる」と予測したが、2011年のはじめにゲーツが中国に訪問していった際に、ちょうど中国初のステルス機「殲20が試験飛行した。中国の開発プロセスの速さは米国の予測を上回ったのは米国の情報機関の失策を反映しているのではないだろうか。だから、米国は中国に軍事転用可能な民生技術を輸出するのはまるで中国の軍事研究にサポートを差し出しているのと同じだと思う。

J-20は全体が黒いため、中国のインターネットユーザーに「空中秋山澪(けいおん!というアニメの登場人物)」と呼ばれている

草菅人命



今度は日本が隣国の中国と韓国への侵略した時の歴史を学んだ。私は八つのコラムを読んだ後は、一番興味を引いたのは学徒兵についてのコラムだった。歴史の中では、学生たちが三・一運動などの民主化活動でも、戦争でも、主力となっている。なぜなら、学生には熱血漢が多いし、まだ完全に形成された価値観や世界観を持っていないため、周りに起こる事に強く影響されるからだ。だから、学徒兵たちの死は一番嘆かわしいと思う。もし戦争に参加しなかったら、彼らはきっと立派な人材になって、社会にいろいろ貢献できたに違いない。例えば、クラスで読んだ特攻隊員の上原良司には兄が二人いて、二人とも医学部の学生だったが、卒業後に軍医となって、一人が潜水艦と共に沈んで戦死した。彼らの死は上原家にとっても、国家にとっても大きな損失だと思う。しかし、戦争中は、上原家のような悲劇は決して例外ではない。「草菅人名」、人命を草のように取り扱うというのは戦争の一番恐ろしいところだと思う。
第二次世界大戦末期に戦没した日本の学徒兵の遺書を集めた遺稿集「きけ わだつみのこえ」

Sunday, February 19, 2012

中国は一体誰に挑戦している?


図表1
地図

今週の日本語のクラスで、中国の軍拡と尖閣諸島問題について勉強した。この二つの問題は中国人の私にとっては、勿論馴染みの無いトピックではなかった。しかし、両方の立場に立って考えてみるのは初めてだった。私は今まで、中国の軍拡はただ経済の高度成長に伴う当然の結果にすぎないと思っていた。以下の図表の通りに、中国の軍備予算は比例して増額しているに過ぎないが、元の数は大きいため、急に軍拡してきたように見えてしまう。隣国の日本はこのような急激な軍事力強化と尖閣衝突事件が相まって、当然不安を感じた。尖閣衝突事件はさておき、中国の軍拡の目的は一体何だろう。なぜ軍拡の代わりに、社会福祉や教育にお金を投じないのだろう。インターネットで調べてみると、上の地図が出てきた(中国語でマークをつけているせいで、読みにくい方もいらっしゃるかもしれませんが、申し訳ございません)。一応、青い点がついているところはすべて米軍基地だ。点の分布から見えるように、中国は殆ど米軍基地に囲まれている状態だ。だから、中国の軍拡はある意味で、米軍の影響から身を守るための戦略ではないだろうかと思う。中国の隣国はもしこの状態を理解したら、また中国の軍拡問題につて考えなおすだろうと思う。

Saturday, February 18, 2012

近代東洋歴史


        19世紀の半ば、日本では二百年以上の鎖国時代が終わり、新しい政府が生まれ、明治維新を迎えた。近代化を目指した明治政府は積極的に外国と交際し、留学生を欧米に送り出した。また、すべての国民を平等にした身分制度を作った。徴兵制度や義務教育などの新しい制度も打ち出した。そして、経済的に、各地に工場を建つ、鉄道を敷き、郵便を広げ、貨幣制度や銀行制度を作った。19世紀後半の日本は海外に目を向け、さらいに朝鮮の内戦の機に乗じ、朝鮮に軍隊を送り、清国軍と衝突をして、戦いに勝った。10年後、ロシアとも衝突を引き起こした。再び勝った日本は相手にたくさんの不平等条約を押し付けて、帝国主義を強めた。そして、1919年に朝鮮と中国の国内日本の帝国主義に対して挑戦の声が高まり、三一運動と五・四運動などの抗日運動が生まれた。その結果、朝鮮民衆は様々な社会運動を展開していくことになった。一方、中国では、民族民主革命は高まり、新文化運動が進めた。

ビジネス日本語の現場からのレポート


        私は一昨年の夏休みに能登半島にある旅館でインターンシップをさせていただきました。インターンシップが始まる前も先生たちから聞きましたが、サービス業で働く時に使う日本語は殆ど普通にはあまり使わない専門用語で、敬語も多いので、まず自分で勉強しておいた方がいいと言われました。ですから、私は先生たちが勧めてくださった客室乗務員の生活を描いたドラマ「アテンションプリーズ」を見ながら、簡単なサービス用語を習いました。しかし、ただ自分で練習するのは十分ではありませんでした。実践しなければ、なかなかお客さんと自然に話すことはできませんでした。そう思った私はついにインターンシップの第二週ごろに決心をして、お客さんと話し始めました。意外なことに、お客さんが私の日本語を聞き取りるのは思ったより難しくはなかったです。また気がついたのは、お客さんは同じ年ぐらいの客室係さんに話しかけられた時、敬語よりもカジュアルスピーチの方が気楽だったということです。この理由を考えると、誰でもいつもお客様のように扱われたらあまり気分はよくなれません。逆に、知り合いとしての親しい扱いをしてもらえば、もっと滞在を楽しむことができるのではないでしょうか。ですから、敬語のマスターというのは、ただ敬語をよく知っている人たちのことを指しているわけではなくて、言葉の扱い方によって、距離感を上手にコントロールできる人たちだと思います。

Thursday, February 9, 2012

初めての投稿〜よろしくお願いします^^

2012年2月9日ーこのブログが作成した日。記念日になる。