Wednesday, May 9, 2012

日本の矛盾


金曜日は「夕凪の街 」と「桜の国」という漫画を読んだ。平野皆実がお風呂に行く時、背中に傷がある被爆者の女性たちが平気にお風呂で話をしている姿を見ると、皆実は「不自然だ」と言った。私はこの台詞がこの漫画のテーマを表してしいると思う。
戦争で日本が受けた被害はある意味でユニークで、世界の他の国々とすべて違う。唯一の被爆国として、日本の被爆者たちが経験した苦痛は他国の人々には理解してもらうのは難しいだろう。戦争でたくさんの人が犠牲になったが、被爆者たちのようにいつか病気や死が襲ってくることにいつまでも心配しなければならなかった人はいないかもしれない。 その上、自分が病気や死にかけたりするだけでなく、さらに自分の子供たちが被爆者の子供として差別されることに耐えなければならない。彼らの人生は爆弾が落とされた時点から変わってしまった。たとえ無事に一生を過ごしても、毎日恐怖に怯えただろう。
う考えれば、なぜ日本が歴史認識の問題についていつも隣国の韓国と中国の間で摩擦があるかということも理解できるようになる。ただ死者と負傷者の 数字を見たら、日本が最大の被害国とはいえないけど、原爆の永続的かつ有害な影響を考えたら、なぜ日本人の被害意識が特に強いか、そして、加害意識が弱い かなどの原因も分かるだろう。被害者意識に圧倒される場合は、自国も他国に多大な害を与えたという認識を持つのは難しいだろう。
2010 年の広島の原爆式典で、菅直人は「核抑止論」(核兵器の保有が国家間の戦争を抑止するという仮説)を取り上げ、広島市長から遺憾の意を表明されるととも に、被爆者から強く批判された。私も「核抑止論」に賛成するけど、被爆者の気持ちを考えてみると、なぜこのように敏感にこの話題を避けたいかをよく分かる。そし て、日本は唯一の被爆国である同時に、核大国のアメリカの傘の下にあるのは私にとってはとても矛盾した現実だと思う。

Tuesday, May 8, 2012

日本の自衛隊は本当に「自衛」だけだか?


      二週間前は星野一の「ああ祖国よ」という短編小説を読んだ。アフリカの小国 パギジア共和国が日本に宣戦布告し、米軍払い下げのボロ船、それもたった2隻の漁船程度のものに乗って日本を攻めてくるという話だ。最後に、パギジアの軍艦 が日本に上陸した後、開戦せずに終戦した。そして、パギジアの代表者たちは補償金をもらい、最高の待遇を受けた後満足して帰国した。しかし、ある小国がまた宣 戦布告して来た。
    この小説が書かれたのは1985年で、ちょうど日本のバブル経済の(バブル期)の始まりだった。インフレが蔓延している経済において、人々の物欲はます ます増えた。そして、国家や団体の利益よりも個人の享楽を一番大切にしている時代だった。この社会的な文脈で、作者は「ああ祖国よ」のような皮肉な作品を 書く必要を感じたのではないだろう。
「ああ祖国よ」の中の日本は経済的な強国だが、政治的な弱者である。アフリカの小国からどんでもない宣戦布告されても、一生懸命相手をなだめるしかなかった。なぜかというと、日本の自衛隊は先に敵国を攻撃することは憲法によって禁止されている。しかし、名目上はそうだが、実際、自衛隊はポスト冷戦期の1990 年代から、国連平和維持活動などのため、海外派遣が行われたこたがある。これ以降、国連平和活動を維持する名目で、九二年にカンボジア、九三年にモザンビー ク、九四年にザイール、九六年に中東ゴラン高原、九九年に東チモールに自衛隊が派遣された。だから、この小説が書かれた時から近年まで、自衛隊の活動の 範囲はずっと大きくなって来ているのだ。これを見ると、最近中国で広がっている「日本軍国主義復活論」も理解できるだろう。
    では、小説で書かれたように、日本が緊急状態になっても、アメリカから助けてもらえない可能性があるか?私はあると思う。なぜかというと、日本の緊 急状態がアメリカにとっても同じように「緊急」だとは言えないからだ。近年、アメリカと中国は、ますます経済的に依存しあっており、アメリカは中国への配 慮で日本を完全にサポートしない可能性もある。

戦後の人たちの生活

  先週は「中国人に助けられたおばあちゃん」という話を読んだ。ある満州開拓団のおばあちゃんが中国人の助けで集団自殺から生き残り、中国で新しい家族を作り、 そして子供三人と帰国した話だ。このおばあちゃんは恩返しのため、そして離別した自分の二人の中国人の子供と再会するため、日中友好運動に積極的に参加した。こ の話を読んだ後一番感心したところは帰国してからの母子四人の生活の部分だ。中国人と再婚したせいで、差別され、そして、子供もすでに日本語を忘れてしま い、普通の人と同じように暮らすことが出来なかった。女性はそもそも弱者だし、三人の若い子供を世話しなくてはならなかったし、彼女たちの生活は非常に辛 かっただろう。戦中はきっと終戦を望んだが、本当に終戦の日が来たら、まだ苦しみが終わらないのは一番絶望的だと思う。でも、考えたら、こんな戦争の余波 に苦しんでいるのは彼女たちみたいな特別な背景を持っている人たちに限られているわけではないと思う。
  去年、友達と一緒に「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画を見た。東京タワーの建設を時間軸に沿って、戦後10年の東京の下町の人々の生活を描く作品だった。


  映画の大部分は、人々がどのように戦後の希望に満ちた生活を送っていたかという話だが、時々襲ってくる戦時中の記憶に悩まされ続ける人たちの気持ちについての 描写もとても現実的で、素晴らしかったと思う。例えば、映画の中で、宅間史郎先生という小児科医は優れた医療技術と子供に対する優しさで、近所の人たちに尊重され ているが、自分の妻と娘を空襲で失って、その後はずっと一人暮らしをしていた。彼はある日、酔った後、道端で寝てしまい、家族団欒の夢を見てしまう。彼が その夢を見たときに、アライグマが現れて、彼が死んだ娘のために買った団子を食べてしまった。しかし、その日から、彼はアライグマのおかげで、家族団欒の 夢を見られたということを強く信じるようになった。再び同じような夢を見るために、頻繁に団子を持ちながら、アライグマを探しに行った。この場面はこの映 画のクライマックスだと思う。子供の病気を治すために一生懸命働いている医者は自分の子供の命を救えなかった。そして、唯物論 (ゆいぶつろんしゃ)の医者である彼がアライグマのような迷信のシンボルを信じるようになったのはとても不思議に見えるが、背後に悲しい物語があった。実 際、彼は例外ではなくて、戦後の一般人の代表だと思う。映画の中では、彼のように表面的に穏やかな生活をしながら、無力感によく襲われた人がたくさんいる はずだと思う。だから、今度読んだ中国人に助けられたおばあちゃんの生活はとても苦しかったが、彼女のような人間はどんな戦争を経た社会でもいると思 う。