Saturday, March 31, 2012

戦後世代に戦争責任があるのか



        先週金曜日の従業で「戦後世代に戦争責任があるのか」という質問について話し合った。読み物の中で、高市発言をはじめとして、いろいろな政治学者の論点が出てきたが、私はその中で一番賛成するのは西部氏の意見だ。西部氏によると、個人の行為や習慣は属する共同体によって拘束される。特に、政治的な決定を下す時はたいてい個人のレベルではなくて、国家のレベルで決断した。なので、個人に責任を求めるのはなかなか困難だ。その上、戦後世代は父祖の世代の行為をコントロールすることができないので、彼たちに責任を求めるのは無理な話だと思う。戦争のような組織暴力を行う時、多くの場合は個人の決断よりも環境的な力が圧倒的に強い。日本は昔から集団主義の社会なので、大勢順応の社会だと言える。大勢順応性を実証した心理実験が多いが、その中で一番有名なアッシュ実験では参加者は二枚の紙をもらった。その中の一枚には一本の線が書いてあり、後一枚には長さが異なる三本の線がかいてあった。参加者は一本の線がかいている紙をみながら、三本の線の中から長さが同じ一本を選んだ。一回目の実験はconfederates(この実験の目的を知っている人たち)がいなかった。参加者はそれぞれの判断で正しいと思う答えを選んだ。正解率は98パーセントで、殆ど全員正しかった。しかし、二回目の実験には、参加者以外に故意に間違った答えを上げたconfederatesもいた。その結果、参加者の中の三分の一が confederatesと同じ間違った答えを上げた。この実験の結果は、個人が集団から強要されると間違った発言であっても、それを正しいとみなすようになるということを表している。これはまだ実験の設定で行われた結果だが、これより何倍も厳しい戦争の中ではもっと盲目的に他人に従うのではないだろう。したがって、たとえ戦争に参加した人たちもいつも自身の意志で暴力を振るったわけではない。戦争が終わってほぼ70年になった今は、責任を追及するよりもっと大切なのはなぜ父祖の世代が戦争を引き起こしたのか、そして、なぜ非人道な行為が起こったのかなどについて反省することだ。

アッシュ実験で使われた二つのカード
             

Saturday, March 24, 2012

「大地の子」と文化言語学


先週は「大地の子」のエピソード2を見ました。内容的にはエピソード1より軽いですが、また色々考えさせられました。その中、一番大きなテーマは言語と身分の関係でした。このテーマは陸一心と黃書海という二つの人物を通してよく伝達されたと思います。黃書海は中国系日本人で、日本で生まれて、育ったが、自分が中国人だということを忘れないように、ずっと中国語を練習してきました。一方で、陸一心は残留日本人孤児で、中国人の両親に育てられて、日本語もうまったく覚えていません。黃書海は陸一心に日本語を教える前にこう言いました、「祖国の言葉を知らないのは、人間として大変な恥だ」。彼が言った通りに、言葉と身分は切っても切れない関係を持っています。牧野先生の文化言語学のクラスで言語相対性仮説(サピア=ウォーフの仮説)ということを学びました。この仮説によると、「言語は既成の事実を捉えるための手段というよりも、未知なる真実を見つけ出すための手段です。その多様性は、音声や記号ではなく世界観の多様性なのだ」。つまり、人間の考え方や価値観は言語に強く影響されます。この仮説は外国語を勉強している皆さんにきっと馴染めのないことではないと思います。私自身気がついたのは、東アジア言語学習者の中では、言葉を切り替えると、人格も急にスイッチする人が多いです。特に、アジア言語で話す時はとても丁寧で、控えめな性格に見えるが、英語に変えると、すぐ自信を持つようになって、性格の中の攻撃的な部分がでる人が多いです。後一つの面白いことは、私の下の名前は発音が難しいため、アメリカに来てから、正しく名前を呼んでくれる人がなかなか少ないです。時には、正しく呼んでくれる人がいたら、とてもありがたくて、自然に親しみが涌きます。このような距離感の変化も言語の支配力を表しているではないだろうかと思います。

Sunday, March 11, 2012


            「オバマ大統領は原爆投下について謝罪すべきか?」また、「隣国を侵略した日本は謝罪すべきか?」というような質問に答える前、まず「当時の被害者とそ の人たちの子孫は一体何を求めているか?」ということを考えなくてはいけないと思う。今を生きる私たちはなかなか被害者の立場に立って考えるのは難しい。ただできる のは、被害者たちの声を聞くようにすることだ。去年上田敦子先生の東アジアの人文科学の授業で、大江健三郎の「ヒロシマノー ト」を読んだ。原爆被爆者の日記や自伝を取り上げている作品だ。あまりにも悲しすぎて、最初の何十ページしか読まなかったのに、驚くことばかりだった。この本を読む前、私は被爆者たちがきっと悲しみに包まれて、自らの苦境の理解を求めていると思ったが、現実はそれとかなり違うそう だ。被爆者たちの多くは死にかけたのに、自分たちが長く生きられないという事実を冷静に受け入れ、恨みなどのことも全然考えずに、単純に静かに残り の時間を過ごしたがっていたそうだ。同情されたくなかったし、謝罪や補償も求めたくなかったそうだ。こんな人たちに、謝りの言葉や補償よりももっとすべきことは、もう二度傷つけないという約束、そして、プライベートな空間を作ってあげることだと思う。そう考えたら、たとえオバマ大統領が広島と長崎の住民に謝 罪しても、本当に喜ぶのは多分政治家たちと少数の住民にすぎないと思う。そして、オバマ大統領は原爆投下という決定を下した人たちを代表していないし、今の広島に住んでいる人たちは被害者たちを代表していないし、事件に関係のない人間が、事件に関係のない人間に対して謝罪することはどれぐらいの意味がある か、そして、誠意を伝えられるかどうかは難しい問題だと思う。しかし、私たちはまだ出来ることがある。これは子孫たちに公平な歴史を伝え、歴史の繰り返しを防ぐことだ。

「大地の子」を見始めた

        
        今週は「大地の子」というドラマを見始めた。一エピソードしか見ていないが、多くの感想を持った。まず、戦争中でも消えない人間のすばらしさを色々見せてくれていると思う。特に、陸徳志という人物が日本人孤児 ある勝男を自分の子供として育てた行為はとても立派で、国境を超えた人道主義的な愛を表したと思う。もちろん、クラスで話し合った通りに、陸徳志は もし自分の子供を持っていたら、あるいは、先生のような教育高等を受けた人間じゃなくて、あの時代の一般人だったら、まだ勝男に親切にしてあげられるかどうか も疑問になってしまう。敵の子を養子にするのはそもそも難しくて、たくさんの勇気がいると思う。だから、このドラマを見ると、陸徳志という人物のプロトタ イプが現実的に存在したかどうかを知りたくなった。もし本当にいたら、彼の養子になった人はきっと幸せだったと思う。しかし、インターネットで残留日本人孤児につい て調べてみたら、孤児たちの中で八割以上も日本に帰国したそうだ。このような高い帰国率の原因を考えたら、日本と中国の生活水準の差と文化大革命によって起 こった社会不安を挙げられるが、ほかにも、何か理由がきっとあると思う。やはり勝男みたいにいい養父母に育てられて、恵まれた人生を送った孤の方が少数だ ろう。もっとつらいと思うのは、彼たちは日本に帰国した後も、日本語を既に忘れてしまったため、あるいは、文化に慣れなかったため、自らが日本人なのか 中国人なのか分からなくなって、差別も受けたということだ。最近、残留孤児の2、3世はマフィア化していて、社会問題になった事件もあるそうだ。まるで両親たちが経験した悲劇から逃げられないようだ。これは一番悲しいと思う。

Sunday, March 4, 2012

在日米軍の抑止力の必要性





今度は在日米軍の抑止力について勉強した。私は元内閣官房副長官補の柳澤協二の考え方に賛成する。抑止力は元々冷戦時代の産物である。今の米日中三国の関係は冷戦時代の米ソとは二つの大きい違いがある。まず、現在、アメリカでも、中国でも、軍事的な利益よりも経済的な利益が優勢されている。誰も軍事攻撃を開始しようとする動機持っていない。そして、今の国々の軍事力は数十年前のレベルと同一視すべきではない。アメリカと中国はどちら核大国で、一方が核兵器を使えば最終的に双方が必ず破滅する。たとえば、射程距 離が10,000キロメートル級のICBM(大陸間弾道ミサイル)では、発射から着弾までの時間は30分だけとされている。つまり、一方が相手に核兵器を使用した際に(たとへば、中国が領土紛争で日本に武力をおこなう場合)、もう一方はすぐそれを察知して、即時の報復を行うことが出来る。言い換えれば、このような戦争をしても勝者がいない。両方も大きい損失を被る。したがって、在日米軍が撤退しても、中国はなかなか日本に戦争を開始しないと思う。そして、岡本行夫のように在日米軍がこれからも日本に駐留するべきだと考えている人たちは多分中国のことを仮想敵国だと思っている。でも、私は21世代の日本と米国の仮想敵は中国ではなくて、テロだと思う。中国の政治指導者が合理的である限り、日本やアメリカに対する絶対戦争を開始しないと思う。しかし、米軍の抑止力がまったく必要がないというわけでもない。というのは、米軍は撤退すると、中国は領土問題で日本にもっと強硬な姿勢を見せるのではないだろう。
      ヴァンデンバーグ空軍基地からテスト発射されたミニットマンIII型ICBM

Saturday, March 3, 2012

戦後のアジア各国





今度は戦後の韓国、朝鮮と中国について勉強しました。私は中国で育ったので、大躍進や文化大革命は身近な話題ですが、朝鮮戦争はなかなかクラスで勉強する機会がありませんでした。初めてこの歴史を学んだのは学校でではなく、「ブラザーフッド (直訳「太極旗翻して」)という朝鮮戦争に基づく映画を見た時でした。中国では、朝鮮戦争の中の中国人民解放軍の役割を美化するために、この戦争を「抗米 援朝戦争」と呼んでいます。つまり、中国の援軍を朝鮮に送り込まなかったら、米軍は必ず朝鮮を踏み台として、中国に脅威を与えた理解しています。しか し、この戦争は元々朝鮮によって引き起こされたということはなかなか中国の歴史教科書に入れられなかったです。これは日本の歴史教科書問題と顕著な類似点があると思います。どんな国でも、隠したい恥ずべき歴史がありますが、歴史を直視する勇気を持つのは本当の「強国」だと思います。戦後処理という点では、ド イツは模範だと思います