Saturday, March 24, 2012

「大地の子」と文化言語学


先週は「大地の子」のエピソード2を見ました。内容的にはエピソード1より軽いですが、また色々考えさせられました。その中、一番大きなテーマは言語と身分の関係でした。このテーマは陸一心と黃書海という二つの人物を通してよく伝達されたと思います。黃書海は中国系日本人で、日本で生まれて、育ったが、自分が中国人だということを忘れないように、ずっと中国語を練習してきました。一方で、陸一心は残留日本人孤児で、中国人の両親に育てられて、日本語もうまったく覚えていません。黃書海は陸一心に日本語を教える前にこう言いました、「祖国の言葉を知らないのは、人間として大変な恥だ」。彼が言った通りに、言葉と身分は切っても切れない関係を持っています。牧野先生の文化言語学のクラスで言語相対性仮説(サピア=ウォーフの仮説)ということを学びました。この仮説によると、「言語は既成の事実を捉えるための手段というよりも、未知なる真実を見つけ出すための手段です。その多様性は、音声や記号ではなく世界観の多様性なのだ」。つまり、人間の考え方や価値観は言語に強く影響されます。この仮説は外国語を勉強している皆さんにきっと馴染めのないことではないと思います。私自身気がついたのは、東アジア言語学習者の中では、言葉を切り替えると、人格も急にスイッチする人が多いです。特に、アジア言語で話す時はとても丁寧で、控えめな性格に見えるが、英語に変えると、すぐ自信を持つようになって、性格の中の攻撃的な部分がでる人が多いです。後一つの面白いことは、私の下の名前は発音が難しいため、アメリカに来てから、正しく名前を呼んでくれる人がなかなか少ないです。時には、正しく呼んでくれる人がいたら、とてもありがたくて、自然に親しみが涌きます。このような距離感の変化も言語の支配力を表しているではないだろうかと思います。

4 comments:

  1. 「言葉を切り替えると、人格も急にスイッチする人が多いです」ということが凄く面白いです。私もいつも経験しています。母国語の韓国語で話す時、英語で話す時、そして日本語で話す時、考え方や言い方が変わるのをたまに感じます。やはり母国語で話すときが一番自然な私の姿で、英語で話す時は普通よりちょっと丁寧ではなくなる感じ、日本語で話すときは本当の私よりもっと丁寧になる感じです。こんなことを考えてみると言語が人間の思考にどれぐらい膨大な影響力を与えるか不思議な気になったりしますよ。

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  2. 私も違う言語を使う時に人格が変わりますよ!英語の私と日本語の私はまるで全く反対のようです。英語で話すと、自信を持っているように話しますが、日本語になるとすぐに静かになってしまいます。もちろん、これは私の日本語レベルに関する自信と関係していますが、日本人の会話習慣も影響すると思います。フーさんが言った通りに、言語は人の態度と行動を変えますね。

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  3. 私も言葉を切り替えると、人格も急にスイッチしますね。本当に大変面白い点だと思います。日本語で話すとき、よくピッチが高くなって、性格もちょっと女性っぽくなると思います。違う言語を使うとき、考え方も変わります。私は英語を勉強した時、よく音楽を聴いたり、ニューヨーク・タイムズのトップセラーの小説を読んだり、アメリカのドラマを見たりしました。だから、英語は私にとって、「自由」「多様化」のような意味があります。そして、日本語を勉強し始めた私は、日常会話を勉強した後すぐPIIに行ったので、文化交流(特に中日関係)・教育・歴史の方に興味がありました。よく年上の人とのコミュニケーションがあったので、丁寧度を他の言語よりかなり高くなります。だから、外国語を勉強するとき、内容・材料・方式などは学生の考え方を決めることができるかもしれませんね。

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  4. コメントする前に、下の「魚」で遊んじゃった。かわいい!
    ところで、名前を正しく読んでもらえないというところに共感しました。私の名前なんて簡単だと思うんですが、いつもTomiko とかTomekoとか。最近は直すのも面倒なので気にしないようにしてますが。

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