Sunday, April 22, 2012

「大地の子」最終回


       今週はついに大地の子を見終えた。原著にも興味を持っているので、アマゾンに載っている読者が書いた書評を読んだ。書評を見ると、「残留日本人孤児」という グループの存在を知っているが、「大地の子」を読む前に、彼らがどんな人生を送ってきたかを知らなかった読者が多いそうだ。なぜかというと、肉親探しが始まったのは80年代で、日本人孤児の中の多数はもう三十代や四十代になっていたからだ。すでに自分の家庭が出来た人たちのことを「孤児」と考えるのはなかなか 難しいだろう。そして、彼らが経験した苦痛を知りたい気持ちもない。作者はこういう背景で、「大地の子」を書いて、祖国の人たちに忘れられた孤児たちの 人生を再現した。中国残留日本人孤児の数は三千人に過ぎないが、彼らのように過去の日本政府の無責任な政策で、人生を翻弄された人々(北朝鮮帰国事業拉致問題南米移民など)はもっと多いそうだ。作家は「大地の子」を通して、一般の恵まれた生活をしている日本人の関心を引いたと思う。
して、一心のような日本人孤児の苦痛の原因を考えると、主に二つある。一つ目は上記の日本政府のいい加減な政策だ。もし戦争がなければ、そして、満州に 「開拓団」を送らなければ、孤児たちの悲劇も起こらなかっただろう。そして、中国側ももちろん無実ではない。文革で被害を受けたのは日本人孤児のような少数 グループに限られない。月梅の父はどんな時代でも一番尊敬されている医者だったのに、自殺を余儀なくされた。だから、文革を描く場面はこの小説のも一つ の大きな貢献だと思う。90年代の日本人は中国への認識は多分戦争中と戦争前のことに限られているが、この小説を読んだら、戦後の中国国情についての理解も深くなるだろう。
後は、この小説は日中友好を謳う内容が多いが、この二つの国の違いを表すところも多い。例えば、ボルトで紛争した場面、そして、初出鉄の前の晩の緊急状況 に対する態度の違い(日本側の「無謀な行動はしない」というやり方と中国側の「待つよりも何かをしよう」というやり方)など。類似点も相違点も同時に公平な観点から描写するこの作品の一番すばらしい点だと思う。




皇室のスケープゴート


初めて松井石根という名前を知ったのは中国系アメリカ人作家アイリスチャンが著した「レイプオブ南京」という本を読んだときだった。初版では彼が南京事件の張本人だと書いたが、その後の版でアイリスチャンは意見を改訂し、松井は大虐殺の間に病気だったので、本当の担当者は朝香宮だったというビューを確立した。
松井石根についてもっと調べてみたが、彼は日本に帰国した後、日中戦争における双方の死者を記念するため、本郷の静岡県熱海市に南京の方向に向かって観音を立ち、毎朝観音経をあげていた。しかし、彼は結局極東国際軍事裁判において起訴され、東条英機などのA級戦犯と一緒に処刑された。
私は彼が他の戦争での役割をよく知らないが、ただ知っているのは南京事件の責任者の裁判した時は、彼が朝香宮のスケープゴートになったそうだ。もちろん彼は完全に無実だと言えないが、彼よりもっと直接責任を持っていた朝香宮はそのまま非難されずに「逃げた」ということが非常に不公平だと思う。日本の人たちはもしこの歴史を知っているかどうかを聞きたくなった。そして、日本の歴史教科書で皇室メンバーが戦争の罪を犯したということが書いてあるかどうかも知りたくなった。そして、朝香宮の戦争責任と言えば、もう一つのことを思い出した。2009年ドイツ、フランスと中国が合作した「ジョンラーベ」という映画は南京事件に基づいた作品だが、中は朝香宮が登場したシーンがいくつもあった。期待通りに、「ジョンラーベ」は日本で公開されなかった。しかし、この映画の監督によると、公開を持ちかけてきた日本の配給会社があったが、朝香宮が登場するシーンをすべて削除するという条件を提案したため、監督に拒否された。私はこの条件はなかなか面白いと思う。なぜただ朝香宮のシーンを削除して欲しかったが?もしかして、この配給会社は皇室のあどけないイメージを維持したがっていたからだか?人間宣言の60年後の今はまだ皇室に汚点をつけてはいけないと考える人が存在することは私にとっては不思議だと思う。
      松井石根によって建立された興亜観音。観音像は松井石根が転戦した南京周辺地等の戦場の土を                       材料として作られた

Monday, April 16, 2012

文革と信仰の喪失


 「大地の子」のエピソード9の中で、一心はお母さんと妹の位牌に線香を供えるため、松本家に訪ねていった。父子二人は仏壇の前で、昔の話をしながら、色々なことを思い出した。日本では仏壇、あるいは神棚を祀る家は今でも多いそうだが、中国ではもう殆どこういう習慣がなくなってしまった。なぜかというと、位牌や仏像を封建社会の遺物、つまり、迷信だと思う人が多いからだ。この考え方を生んだ原因はまた文化大革命だ。文化大革命は文化と伝統を破壊しただけではなくて、宗教も徹底否定した。文革で、多くの教会や寺院などの宗教的な文化財が破壊された。特に、チベットでは仏像が溶かされたり僧侶が殺害されたりした。私はチベットにあるタシルンポ寺に行ったことがあるが、そこは歴代のパンチェンラマの遺体を納める霊塔(れいとう)が奉ってある。何人かを奉った物も一人だけを奉った物もある。なぜ一つの霊塔には何人のパンチェンラマの遺体を納めてあるかというと、文革で紅衛兵は5代から9代までのパンチェンラマの霊塔を破壊し、その中の遺体も取り出し、近くの川に流してしまったからだ。パンチェンラマはチベット仏教においてダライラマに次ぐ高位の精神的指導者だが、パンチェンラマの遺体を破壊されるのはチベット仏教の教徒にとっては最大の恥で、耐え難い行動だ。したがって、チベットは50年代以来中国政府からたくさんの経済支援をもらったのに、まだ共産党に憎しみを抱き続けている。今中国の憲法には「公民は宗教信仰の自由を持つ」と規定されているが、歴史の繰り返しを恐れるため、まだ自分の宗教を隠す人が多い。うちもキリスト教の家庭だが、戸籍簿では「信仰なし」と書いている。また、文革のせいで、信仰心を完全に失った中国人も多い。日本人や韓国人と違って、中国人は死後の世界を信じる人が少数だ。したがって、ただ現在の享楽を大切にして、悪行をしてもその結果を考えない人が多い。評論家の石平が言ったように、文革のせいで、中国は「世界で屈指の拝金主義が跋扈するようになった」。
          (紅衛兵は北京天主堂の書籍を焼却していた

中国高度経済成長と伴う問題

 今週見た大地の子の中で、日中両方は日本から輸入した鉄鋲とアンカーボルトの寸法誤差と品質上の問題で衝突をした。その原因は、日本側のやり方は抜き取り検査だったが、中国側はすべてを検査するのが慣例だったからだ。つまり、中国側は厳しい時間制約下でも高い水準を維持しているはずだということだ。私はこのシーンを見て、去年七月の中国の高速鉄道追突事故を思い出した。これは先行していた列車が落雷によって停電し、動力を失ったため手停車し、そこに後続の列車が追突した事故だった。この事故によって、40人が死亡し、192人が負傷し、重大交通事故だと言われている。


 この事故が起こった四日後、事故にあった列車はそのまま現場で埋められた。埋め立て作業開始前に、救助隊員の一人が反対し、一人で車内を探し、20時間後2歳の女の子を見つけて、救出した。もし早く埋め立ていたら、この子は、電車の残骸とともに埋められてしまっていただろう。国民の怒りを引き起こしたのは、鉄道省のスポークスマンはこんな軽率な埋め立て行動について問われた時、ただ「彼女の生存は奇跡だ」と一言で済ませたことだ。
 この事件を見ると、中国の高度経済成長に伴ってたくさんの問題も生まれているということが分かる。皮肉なことに、文革中の中国はとても貧乏だったのに、高い生産水準を維持してきたが、今の中国は世界第二の経済大国になったが、国民の生活水準はだんだん低くなりつつある。今度の鉄道事件はさておき、2007年の汚染粉ミルク事件や最近のリサイクル食用油(しょくようあぶら)事件を見ると、国民生活の安全性を疑わざるをえない。生活の安全性と引き換えにした経済成長は本当に国民に望まれているのか?経済成長は生活水準の保障に基づかないと、意味がないと思う。単なる数の増加に過ぎない。

Sunday, April 15, 2012

文革と儒教思想の希薄化

    今週見た「大地の子」の中で、一心が労働改造所で日本語を勉強していたことが発覚されたせいで、批判会で非難された。一心を助けようとした黄書海は一心が日本語を習っていたのではなくて、張旭(ちょうきょく)の草書体(そうしょたい)を模写していたと主張した。張旭は唐の書家であったが、書体は分かりにくいため、封建思想の代表として批判された。一方、明治以後の日本では、楷書(かいしょ)を『正式な書体』に位置づけ、行書(ぎょうしょ)を『日常的に用いる筆記体』と見なして教育を進めながら、草書は『非日常的向けの書体』として愛好されている。では、なぜ中国は自分の伝統文化を捨てるのか。答えは文化大革命である。

(文革中の批林批孔運動のポスター)
 1973年から1976まで、中国では「批林批孔運動(ひりんひこううんどう)」が全国規模で展開された。
 名前が示すように、「批林」は毛沢東の後継者であった林彪(りん・びょう)の批判であり、「批孔」は孔子及び儒教の否定であった。この運動の影響は今の中国社会でも残っている。日本に帰化した元中国人の評論家である石平によると、「この(批林批孔運動)結果、中国では論語の心や儒教の精神は無残に破壊された」。石平は「愛日主義者」で、問題発言もよくしているが、私は彼の文革の影響についての意見に賛成する。文革による儒教思想の希薄化のせいで、昔の美徳は喪失されてしまった。例えば、「親孝行(おやこうこう)」、つまり、よく孝を守る振る舞いは儒教の考えによる重要な徳目で、現代の韓国と日本でまだよく行われている。しかし、最近中国では、老人への介護をネグレクトしたり、まだ虐待したりするなどの社会現象が次々と現れている。特に、老人がまだ生きている時はちゃんとお世話しないのに、老人がなくなった後、すぐ遺産相続で争う家族が多いそうだ。そして、一人っ子政策もあるので、老人よりも子供を一番大切にする家族も少なくない。その上、急速な都市化が進んでいるため、地元の田舎から離れて、北京や上海などの大きい都市に引っ越す若者は毎年一千万人ぐらいの程度で増えている。この結果、「留守老人」と呼ばれる田舎に残された老人たちの生活は厳しい社会問題になりつつある。30年前の文化大革命が今でも深刻な問題を起こしているのはとても怖いと思う。