先週金曜日の従業で「戦後世代に戦争責任があるのか」という質問について話し合った。読み物の中で、高市発言をはじめとして、いろいろな政治学者の論点が出てきたが、私はその中で一番賛成するのは西部氏の意見だ。西部氏によると、個人の行為や習慣は属する共同体によって拘束される。特に、政治的な決定を下す時はたいてい個人のレベルではなくて、国家のレベルで決断した。なので、個人に責任を求めるのはなかなか困難だ。その上、戦後世代は父祖の世代の行為をコントロールすることができないので、彼たちに責任を求めるのは無理な話だと思う。戦争のような組織暴力を行う時、多くの場合は個人の決断よりも環境的な力が圧倒的に強い。日本は昔から集団主義の社会なので、大勢順応の社会だと言える。大勢順応性を実証した心理実験が多いが、その中で一番有名なアッシュ実験では参加者は二枚の紙をもらった。その中の一枚には一本の線が書いてあり、後一枚には長さが異なる三本の線がかいてあった。参加者は一本の線がかいている紙をみながら、三本の線の中から長さが同じ一本を選んだ。一回目の実験はconfederates(この実験の目的を知っている人たち)がいなかった。参加者はそれぞれの判断で正しいと思う答えを選んだ。正解率は98パーセントで、殆ど全員正しかった。しかし、二回目の実験には、参加者以外に故意に間違った答えを上げたconfederatesもいた。その結果、参加者の中の三分の一が confederatesと同じ間違った答えを上げた。この実験の結果は、個人が集団から強要されると間違った発言であっても、それを正しいとみなすようになるということを表している。これはまだ実験の設定で行われた結果だが、これより何倍も厳しい戦争の中ではもっと盲目的に他人に従うのではないだろう。したがって、たとえ戦争に参加した人たちもいつも自身の意志で暴力を振るったわけではない。戦争が終わってほぼ70年になった今は、責任を追及するよりもっと大切なのはなぜ父祖の世代が戦争を引き起こしたのか、そして、なぜ非人道な行為が起こったのかなどについて反省することだ。
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アッシュ実験で使われた二つのカード |